- 2025/02/24
この動画は、
『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』
の著者であり、
デイヴィッド・ベネタ―の
『生まれてこないほうが良かった』
などの翻訳も手がける
哲学研究者の小島和男氏へのインタビュー映像です。
小島氏は、
全ての人間
(あるいは感覚ある存在)
は生まれるべきではないとする
「反出生主義(アンチナタリズム)」
の立場に立ちつつも、
単なる厭世的な議論にとどまらず、
「生まれてきてしまった私たちが、
この生きづらい世の中で
どう生きていけばいいのか」
について、
非常に温かく現実的な視点から語っています。
1. 「生まれてこないほうがよかった」と「今すぐ死んだほうがよい」の絶対的な違い
多くの人が反出生主義を
「自殺を推奨する思想」と誤解しがちですが、
小島氏はこれを強く否定します。
「始める価値」と「続ける価値」は別である
これはデイヴィッド・ベネタ―が提唱した
「映画館の比喩」で綺麗に説明されます。
【映画館の比喩】
「最初から見に来なければよかった」
(始める価値はなかった)
と思うほど退屈な映画であっても、
せっかく席について見始めた以上、
途中で立ち上がって
退場する(=自殺する)ほどではない、
ということはよくあります。
後半に盛り上がるかもしれないし、
ただ座って最後まで眺めているだけでも
何かしらの意味が後から生じるかもしれません。
「生まれてこないほうがよかった」
(人生を始めないほうがよかった)
という前提があったとしても、
すでに生まれてしまった
(映画が始まってしまった)以上、
その「生を続ける価値」は
後からいくらでも生じます。
したがって、
反出生主義は自殺を勧めるものではなく、
むしろ
「始まってしまった生を
どうサバイブするか」
を考える思想です。
2. 「熱心に働く=美徳」という社会制度への違和感
「一生懸命働くことが素晴らしい」
(働かざる者食うべからず)
という価値観は、
共同体(社会)を維持するために
都合よく作られた人工的な道徳
(共同体のフィクション)に過ぎません。
働けない人を「悪」とみなす認知の歪み
働くことが
「徳(道徳的に正しいこと)」にされてしまうと、
心身の理由などで働けない人が
「悪い人」
「努力が足りない人」
とみなされるようになってしまいます。
本質は「分配(運)」の問題
働かなくても豊かに暮らせる
国や環境に生まれるか否かは、
個人の努力ではなく
単なる
「配属の運(生まれた場所・制度)」
の問題です。
制度側の不備(再分配のシステムエラー)を、
労働倫理という言葉を使って
「個人の自己責任」にすり替えるべきではありません。
労働への強迫観念を緩める
生きることと賃金労働を
ガチガチに直結させるのではなく、
労働時間を短縮するなどして
「生きるための隙間」
(苦痛のない時間)
を増やす制度設計を目指すべきです。
3. 「親が嫌い・感謝できない」は道徳的欠陥ではない
「親を好きになれない・親に感謝できない」
という感情を
「親不孝」として責め立てる社会の空気に、
小島氏は論理的に疑問を投げかけます。
生まれる前に「同意」はない
「産んでくれた感謝」
「育ててくれた感謝」
を親から要求されることがありますが、
子供は生まれる前に存在していないため
「産んでくれ」
「育ててくれ」
と頼んだ覚えは誰にもありません。
責任は親にある
「子供を産んで育てる」
という決定を
自由意志で行ったのは100%親の側であり、
それに伴う責任を引き受けるのは
親の当然の義務です。
そのため、
子供が親に感謝を返すことは義務ではなく、
親の振る舞いに対する
自然なリアクションであるべきです。
合わない親、
悪い親を嫌うのは健全な感情であり、
不道徳でもなんでもありません。
無理に和解しようとせず、
親と
「うまいこと物理的・精神的に距離を取る」
ことこそが大切です。
4. 宇宙的意味( cosmic meaning )と地上的意味( terrestrial meaning )
小島氏は、
人生における「意味」を
2つのスケールに分けて考えます。
宇宙的意味(客観的な意味):ゼロ
何百億年という宇宙の壮大な歴史、
あるいは地球の生命が
いつか完全に消滅するという
タイムスケールから見れば、
人間一人の人生や
人類全体の営みは、
一瞬の瞬きにも満たない無意味なものです。
地上的意味(主観的・限定的な意味):大いにあり得る
宇宙規模では無意味であっても、
私たちの日常生活
(目の前の家族や友人を大切にする、
創作活動に打ち込む、
仕事で何かを達成する)
においては、
十分に「意味(手触りのある価値)」を持ち得ます。
「人生に意味や壮大な目標がないから、自分はダメなんだ」
と思い詰める必要は全くありません。
そんな高尚な意味を求めるのは、
生活に余裕のある知識人の贅沢な悩みであり、
日々の生活をただ生き延びること、
少しでも
「苦痛を減らすこと」自体が
十分に価値ある目的です。
5. 社会から押し付けられた目標を疑う
「高い年収、出世、
結婚して子供を持つ、
マイホーム、
フォロワー数、FIRE」
など、
世間が提示する
「成功のテンプレート」の多くは、
他者からの評価に依存した目標です。
他人の評価は自分でコントロールできないため、
それを目標にすると、
終わりなき競争の中で自分をすり減らし、
自己否定に陥る原因になります。
人生の最も確かな目標とは
社会が作ったコロコロ変わる価値観に
振り回されるのをやめ、
「自分自身を大切にし、
他者を加害せず、
自分の苦痛を避けて静かに生きる」こと。
それだけで人生の目標としては
十分すぎるほど立派です。
メッセージ
「生まれたくなかった。でも生まれてしまった。」
その矛盾や割り切れなさを抱えたまま、
大きな目標など掲げずに、
ただ自分の足元の『苦痛』を
ひとつずつ減らしていく。
それは決して怠けや逃げではなく、
過酷な世界から自分自身を守るための、
きわめて思慮深く価値ある歩みなのです。