【住民1万人→115人】かつての駅前繁華街は完全消滅…壊滅状態に陥った「元・巨大都市」の現在

この動画では、
かつて日本のエネルギー産業を支えた
炭鉱の街として、
最盛期には周辺を合わせて
1万人以上が暮らした
北海道芦別市の
「頼城(らいじょう)地区」
および
「西芦別(にしあしべつ)地区」
の現在の姿をレポートし、
地方の炭鉱街が辿った
過酷な衰退の歴史と直面する
「空き家問題」
を解説しています。

🗺️ かつて巨大炭鉱街だった2つの地区の現状

① 頼城地区:住民1万人から115人へ

最盛期の賑わい

1944年に開坑した
「三井芦別炭鉱 第2坑」
を中心に大いに栄え、
地区の人口は1万1500人を超えていました。

当時の頼城小学校は、
児童数が2214人に達する
超マンモス校(全国平均の約4倍)でした。

現在の姿

炭鉱の閉山、
三井芦別鉄道の廃線(1989年旅客廃止)を経て、
現在の人口はわずか115人。

駅前ロータリー跡地は
痕跡がほぼ消え、
当時の炭鉱住宅(改良住宅)は激しく老朽化し、
1階部分が板張りされた
廃墟のような状態のまま
2階にわずかな住民が暮らしています。

北海道の過疎地でおなじみの
「セイコーマート」すら
出店していないものの、
唯一の金融機能として
郵便局(ATM完備)と駐在所が残っています。

🌲 頼城のさらに奥「6線地区」

かつて頼城に負けない規模の
炭鉱街でしたが、
現在はすっかり自然に還り、
消滅集落(ほぼ跡地)のようになっています。

しかし、
現在でも9人の住民が
ここで暮らしています。

② 西芦別地区:ゴーストタウンと化した駅前

最盛期の賑わい

かつて
「三井芦別駅」
(旧称:西芦別駅)があり、
駅前や周辺には
炭鉱関連施設と
広大な商店街が広がっていました。

現在の姿

現在の人口は238人。
駅舎は民間企業の倉庫として
形を残していますが、
ホームは草木に完全に覆われています。

駅前商店街は
「ゴーストタウン」
と呼べるほど荒廃しており、
窓ガラスが割れた廃墟が立ち並び、
カラスが集まる
寂しい空間になっています。

その中でポツンと1軒だけ、
1989年当時から続く
「森下理容院」が営業を続けており、
地域の貴重な交流の場となっています。

🛠️ 今も残る「炭鉱の遺産」

完全に消滅したわけではなく、
当時の歴史を伝える
貴重な遺構がいくつか遺されています。

炭山川橋梁(国の登録有形文化財)

頼城と西芦別を繋ぐ鉄道橋跡。
橋の上には
ディーゼル機関車(DD501)と
石炭専用貨車(セキ3820)が
当時のまま常時展示されており、
マニアが訪れる観光遺産となっています。

頼城の交付の像(レプリカ)

かつて西芦別で
老朽化していた本物のコンクリート像を、
元炭鉱マンたちが結成した保存会が
複製して頼城に建て直したもの。
(※本物の腕だけは記念館に保存)

共同浴場

炭鉱時代から現役で使われている、
非常に年季の入った地元住民向けの浴場。
(16:30営業開始)

⚠️ 芦別市が抱える深刻な「危険空き家問題」と未来への課題

動画の後半では、
この街が抱えるリアルな
行政課題に踏み込んでいます。

危険な空き家の急増

芦別市全体で
空き家数は増加傾向にありますが、
特に「管理不足で危険な可能性がある空き家」が、
平成28年の166件から
令和4年には340件へと倍増しています。

古い商店や家屋を解体するには
数百万円の費用がかかるため、
持ち主が放置せざるを得ないのが現状です。

市の「集約(コンパクトシティ)」計画と葛藤

芦別市の都市計画では、
これらの炭鉱遺産を
歴史として再生・保存しつつ、
郊外の改良住宅を
市街地側へ順番に移転(住居の集約)させ、
危険な空き家は
市が解体助成などを行う方針をとっています。

しかし、
長年この地で生きてきた
高齢の住民の中には
「最後まで今の場所で暮らしたい」
と望む声も強く、
行政と住民との間での解決は
容易ではありません。

📝 総括

芦別市の高齢化率は
49.3%(2026年3月現在)と、
住民の約半数が
65歳以上という
極めて高い水準に達しています。

「子供の声が聞こえず、
誰もいない頼城・西芦別の
静かな公園の風景は、
まさに芦別市全体の
未来の縮図である」
と動画では語られており、
かつて日本を支えた栄華の衰退と、
これからの地方都市の畳み方の難しさを
痛感させる内容となっています。

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